● 猫耳になった訳  ● 

身を切るような寒い風が吹く中、私は力なく横たわっていた。
 普段なら、背の高い叢に隠れるとか、空き家にお邪魔するとかして寒さをしのぐのだけれど、その時の私は自棄だった。
 別に死んでもいいや。
 痛かった。虚しかった。悲しかった。

 ――この悪魔!
 今日の夕飯にありつくために、村をうろうろしていたら、私を見かけた住人はそう言って石を投げつけた。
 それ自体は、いつもの事で、もはや何とも思っていないのだけれど――今日は運が悪かった。
 当たり所が悪かったのか、右足を痛めたのだ。おかげで逃げられず、散々な目に遭った。
 嘲笑と、侮蔑の言葉の中、幾度と無く投げられる石。やがて、それを聞きつけた若い男達もその輪に混じる。
 誰が思いついたのか、汚れた泥水をぶつけられた。
 すえた酷いにおい。何より、冷たくて、傷にしみる。
 止めてくれと叫んでも、当然、向こうは気にかけるでもなく、ただ笑ってすませてしまう。
 太い木の棒で殴りかかられた時は、私は死を覚悟した。
 それでも私が生きていたのは――面倒くさい。
 彼らは言った。私を片付けるのが面倒くさいと。だから、二度とこれに懲りて、村に来るなと。

 あたしは逃げた。彼らの言葉を素直に聞く気も無かったけれど、怖くて、これ以上痛い目に遭いたくなくて、とにかく必死だった。
 何とか逃げして、寝床に戻ろうとした。
 その時、ちょうど仲間と会った。
 私と違って、気に入られ、丸々太った私の兄弟。
 彼は私を見て逃げた。
 なんだ、あの気味の悪いのは。
 そんな何かを恐れる目をしていた。
 彼はきっと私だと認識できなかったのだろう。
 私を恐れるように駆け出した彼を見送った後、私はそんなに酷い顔だろうかと、近くにあった水が溜められた桶を覗き込む。
 ――汚れた水と、流れた血と、殴ら腫れて変形した顔。
 化け物だ。
 自分でも、そう思った。
 村を出てしばらくして、一人きりになって。
 私はもう歩き出す気力さえ無くなっていた。

 何が悪かったのか。
 私は、大の字で横たわって、月の光に照らされながらぼんやり考える。
 生まれてこの方、疎まれたことしかない。
 見た目が悪い?
 でも、それにしたってあんまりじゃないか。
 眠い。
 寒いという感覚も薄れてきた。
 頭のどこかが、危ないぞ、と警告する。
 このままだと、目を覚ますことは無いぞと。
 それでも良いかと思えた。
 せめて、死ぬ時くらいは自分で決めたい。
 誰かの悪意の中命を終わらせるのは真っ平ごめんだ。

 そう遠くない場所から――こちらに近づく足音が聞こえた。
 あんまりだ。
 私は思った。
 神様は意地が汚いらしい。 
 何とか起き上がるが、気力だけではなく、身体の方も限界だったようで、数歩進むと私はその場にへたり込んでしまった。
 恐怖より、何より悲しかった。悔しかった。惨めだった。
 やがて、足音は近づいて、私は諦めて目を閉じる。
 もう、好きにしてくれ。
 私が想像していた侮蔑の言葉は一向になく、かといって、無言のままの暴力も無く、不思議に思って目を開けると、ちょうど少女と目が合った。
 しゃがみこんで私を覗くまあるい瞳。
 何より驚いたのは、私と同じ、髪の色、黒い瞳の色――そして、私を模したような黒い耳のような出っ張りの付いた布を頭に被っていた。
「あ、起きた」
 少女は目を開けた私を見てにっこり微笑んだ。
 彼女の手が私へと伸びる。
 私は思わず身体をすくめる。
 殴られると思ったのだ。今まで、ずっとそうだったから。
 突っぱねる力も残っていない私は、咄嗟に反応できなかった。
 ――温かいぬくもりが私の頭に触れた。
 彼女は、私の兄弟達が時々村人にそうされるように、私の頭を撫でたのだ。
 薄汚れて酷い匂いの私の身体を気にするようでもなく、にこにこと私の頭を撫で続けていた。
「もう大丈夫なのですよ?」
 よいしょ、そう言って、私は両脇に手を入れられ、彼女に持ち上げられた。
「お前は、今からうちの子なのです。お前がなんと思おうと、決定事項ですよ? 諦めてくださいな!」
 悪戯っ子のような笑顔を浮べてそう言って、まるで、それが当たり前だと言わんばかりに、彼女は私を両手で抱きかかえた。
 まるで日向ぼっこをしているようなあったかいぬくもりが、私を包んだ。
「お前の、名前は何にしましょうです」
 私を抱きかかえながら歩き始めた彼女はそう言った。
 やがて閃いたのか、彼女は嬉しそうに微笑み、私に告げる。
「決めた。お前の名前はクロにするのです」
 なんとも安直なネーミング。でも、初めて誰かに与えられたもの。
 その日から私はクロになった。

 やっぱり私は弱っていたらしい。
 しばらくまともに動けなかった。
 けれど少女が新鮮なご飯と、清潔で安全な寝床を用意してくれたおかげで、自分でも日に日に元気になっていくのがわかる。
 私のために用意された毛布の上でまどろんでいると騒がしい足音が近づいてくる。
 彼女だ。
 私は慌てて目を開けて、起き上がる。
 まだ、回復しきっておらず、寝起きで起き上がるのは辛いのだけれど、何とか気力を奮い立たせて私は立ち上がる。
「あーさーですよ。クロ、おはようなのです!」
 うっきゃーと、よくわからない声を上げて、彼女は私に近づいてきた。
 私も、おはよう、と声を出す。――言葉は伝わることは無いのだろうけど。でも、純粋に、彼女に応えたかった。
「よく眠れたですか? お、もう立ち上がれるようになったですね!」
 私が自分の足で立っているのを見て、嬉しそうにはしゃぐ少女を見て、私はがんばったかいがあったと、嬉しくなった。
「よし、朝ごはんを食べましょうです」
 少女がそう言って、私の頭を撫でると、遠くでゆーおーと、呼ぶ別の女の子の声がした。
 ゆーおー、ユオ、それが少女の名前らしい。
「朝ごはん出来たよー!」
「はいなのです! よし、行きましょうです」
 そう言って、ユオは私をあの日のように抱きかかえご飯を食べに歩き出す。

 今日のユオの朝ご飯は、おにぎりと、お味噌汁。私は、お味噌汁のダシを取った煮干と、ミルク。
 ユオが食べる真横で、私もゆっくりと食事を摂る。
「早いよね。もう一人でご飯を食べれるようになったんだ」
 先程ユオを呼んだ女の子――琴音は、私を見ながらそう言った。
 琴音は、ユオと一緒に住んでいる女の子で、おそらく、この住処の主であると私は認識している。
 あともう一人ユキという子が居るのだけれど、今日は朝から出かけているらしく、姿が無かった。
 物が少ない、無駄に大きいプレハブ小屋の中にぽつんとある丸いちゃぶ台に、ユオと琴音と私は固まって朝ごはんを食べていた。
「最初は、本当に大丈夫かな、と思ったけど、元気になってきてよかった。何だか嬉しいな」
 そう言って言葉通りに嬉しそうに微笑む琴音に、ありがとう、と私は言った。
 たぶんにゃーとしか聞こえていないのだろうけど。
「お、おかわりか」
 ちょうど空になった私のお皿を見て勘違いした琴音は言った。
「まだ本調子じゃないから我慢しなさい」
 そうじゃないよ、と言っても、わかってくれない。
 むしろ、不満の声だと勘違いされたらしく、苦笑いされた。
「元気になったら、一杯食べさせてあげるですから、我慢してくださいな」
 同じく勘違いしたユオはそう言って、私の頭を撫でた。
 違うのに――まあ、気持ち良いから良いけど。
「よし、クロすけのご飯のためにがんばりますか」
 砕けた口調で、琴音が言った。
 はいな! とユオが応じる。
 ふぁいとー、私はそう言ってたぶん――にゃーと鳴いた。
 
 日中はユオは仕事に行っていないので、私は琴音と一緒に居るの事が多かった。
 今日も彼女の膝の上で丸まって、――否、丸まらされていた。
「ふっふっふ、天然湯たんぽ、これで寒くないわね」
 何故か、そう嬉しそうにそう言う琴音。よくわからないけれど、役に立って何より。
 軽い振動を感じながら私は琴音の膝の上でじーっと彼女の仕事を眺める。
 琴音はどうやら、文字を書く仕事をしているらしい。数日一緒に居る間、ずっと紙に文字を書いていた。
 読めない私には、それが何の役にたつのかさっぱりで、でも私が生きるために虫や動物を仕留めたり、村で食べ物を漁るのと一緒だと理解していた。
 人間は仕事することで、食べ物が手に入るらしいと言うことは、今まで生きてきた中で、なんとなく知っていたけれど、実際それを実感したのは初めてだった。
「クロは賢いよね。言うこと、ちゃんと聞いてくれるんだもの」
 膝の上で、湯たんぽとやらをやっている私をねぎらってか、琴音はそう言った。
 お世話になってますから。言葉にはしないけど、心の中で呟く。
「でもね、もうちょっとやんちゃしてもいいんだよ――まあ、今は元気が無いんだろうけどさ」
 疲れたのか、文字を書くのを一旦止めて、軽く伸びをした琴音はそう言って私の身体を撫ではじめた。
「あなたも家族の一員なんだから、嫌なら嫌って言ってね――嫌でも撫でまくるけどさ」
 よし、ちょっとご飯作ってくるね、そう言って琴音は私を下におろす。
 
 家族――意味はわからないけど、良い言葉だなというのはわかった。
 だって、こんなに、温かくて、おなか一杯で、楽しくて、寂しくないのは初めてで、今とっても幸せなのだから。
 琴音がご飯を作っている間、私はうろうろ家の中を歩き回ることにする。
 どうやら、じーっとしていると元気にならないらしい。まだちょっとしんだいけど、ユオに元気な姿を見せたい私は張り切って、歩き始める。
 ……そう言えば最近狩をしてないな。
 体力がないとは言え、ユオ達に世話になりっぱなしなのも申し訳ない。
 そう思っていると、黒い影が、一瞬私の横を通り過ぎる。
 本能的に、目で追うと先日琴音が逃がした黒い虫だった。
 ――動けるかな?
 そう思ったが、がんばってみることにした。琴音の役に立つのなら、多少の苦痛も我慢できる。
 一足飛びで、目標に飛び掛る。相手にとって、弱った私がそこまでの動きをするのが、予想外であったらしく、あっけなく私はそいつの息の根を止めることができた。
 あっさりと狩を成功させて嬉しくなった私は、琴音に意気揚々と戦果を見せに行く。
 私に気付いた琴音は、私が咥えているものを見て、軽い悲鳴を上げた。
 そして、何故か引きつった笑顔を見せて、どっか外に置いといて、後食べないでね、と言われたので、不思議に思いつつもそれに従う。
 何でだろう?
 昨日琴音は必死で追いかけてたのに?

 夕方になると、ユオが帰ってきた。ユキも一緒だった。
 ユオは何故かユキにお姫様抱っこされていた。
「何してんの?」
 琴音が不思議そうに聞く。
「いや、ものすッごく幸せそうに抱っこされてる方がいらしゃって、どんな感じかとユオが言うから」
「――感想は?」
「頭撫で撫での方が私はいいのです」
 そう言いながら、ユオはユキから降りる。
 そして、不思議そうに私と琴音を見る。
「なんで、二人とも疲れ果ててるです?」
「いや、なんて言うか、激闘の末?」
 疲れた声で琴音は答える。その右手には歯ブラシを握っていた。
 手には私が引っかいた跡がくっきり。
 私も、思いっきり動いたのでぐったり。
「で、結果は?」
 歯ブラシを見て全てを悟ったらしいユキが聞いた。
「私の勝利――」
 私が不満気に鳴くと、琴音は悔しそうに白状した。
「では無く、私の負けでござんした」
 久しぶりの狩の後、何故か琴音は私の歯磨きとやらをしようとした。
 今まで生まれてこの方そんな事をしたこと無い私は拒否。
 結果引っかき、つかみの大乱闘――私は何とか逃げ切ったのだった。
「なるほどなのです」
 そう言いながら、ユオが私を抱っこする。
 いつもの事なので、なされるがまま、私はそれを受け入れる。
 何故か仰向けにされる。
 その時、私は悟ったが、もう遅い、何故か清清しい笑顔の琴音が近づいてきた。
「歯磨きさんは大事なのです」
 おとなしくしてくださいなと、暴れる私をがっちりホールド。
「やりこいものだと歯石も付くしね」
 ユキがよくわからないことを言う。
「というわけで、最後は私の大勝利!」
 結局――私は歯磨きとやらをすることは確定事項のようだった。
 私は観念して、目を閉じた。――まあ、石を投げつけられるよりましか。
 たぶん、私のためを思ってのことなんだろうし。
 せめてもの抵抗で、思いっきり足をつっぱってやったけど。

 ユオに拾われてから、1週間が経った。
 怪我も治り、弱った身体も元気になった。
 だんだん行動範囲が増えていく。
 家の中はほぼ全ての場所を動けるようになった。
 本棚の上や、屋根の上高いところは全部登った。
 天気が良いと、屋根の上でお昼寝するのが気持ちよかった。
 時々、ユキもやってきて、二人一緒で昼寝した。
 やがてそれも飽きてきて、ちょっとお外にも出た。
 ただ、家が見えなくなるまでの距離まで離れることは無かった。
 怖かったのだ。
 元通りの生活に戻るような気がして。
 でも、そんな事は無かった。
 みんな変らずそばにいて、私は飢えも寂しさも感じることは無かった。
 気付くと、さらに、1週間、1ヶ月、1年と本当にあっという間に時間が過ぎていた。

 ユオと一緒に出かけることも増えた。
 ユオは時々仕事の出先や、買い物に私を一緒に連れて行く。遠くに行く時は私は、ユキが作ってくれた籠に入って私は彼女に運ばれる。
 揺れる景色は中々楽しく、居心地がよかった。
 なにより、ユオのそばに居られることが嬉しかった。
 私はユオが好きだった。琴音やユキもすきだったけど、ユオが一番。
 一緒にずっと居たかった。

 ずっとずっと一緒に居られると思ってた。

 その日、ユオは何故か寂しそうな顔をしていた。
 絶対に迎えにいくからと、何のことだろうと思った。
 だってこんなにそばにいるのに。
 その日はちょっと不思議だった。
 琴音がやけに上等なご飯をくれたり、ユキが丁寧にブラッシングしてくれたり。
 ユオがいつも以上に頭を撫でてくれたり。
 捨てられるのかと思ったが、それは絶対に無いと思った。
 じゃあ、なんで?

 やがてあたりが眩しくなったと思ったら、黄金の光に包まれて全てが見えなくなった。
 
 ――気付くと私はあの日、ユオに拾われる前の村に居た。
 まるで、時間が戻ったみたいに。
 ただ、あの日と違うのは私は綺麗な毛並みをしていた。
 だからあの日と違うと思った。
 でも、まるであの日みたいに村人がやってきて、石を投げ始めた時わからなくなった。
 訳がわからなかった。でも、覚えていた。
 一度経験したことだと知っていた。
 痛かった。
 ただ、前と違って、足を痛めるようなへまはしなかった。
 ただ、ただ、必死に走った。 
 あの日ユオと出会った場所に死に物狂いで走った。
 ユオは言っていた。
 迎えに来ると。
 やがて私はあの日倒れていた場所に着く。
 しばらくして、全速力で走ってくるユオと、琴音と、タオルやら、なにやら一杯抱えたユキがやってきた。
 ユオに抱きかかえられ、私はほっとした。
 ああ、よかったと思った。
 幸せな日々は夢じゃなかったのだ。
 温かいぬくもり。
 それだけで十分だった。
 ユキだけが、何故か少し険しい顔をしていた。

 しばらくして、私はユキから真実を知らされた(彼女は私の言葉がなんとなくわかるらしく、普通に喋るようになっていた)
 時間が遡ること、記憶が消えること。でも、ユオ達と関わったから残ったこと。
 知ったからといって、何が変るわけじゃない。
 だって、そうでしょ?
 大好きな人たちと、考え方によってはずっと一緒に居られるんだから。
 最初の日さえ乗り切れば、あとは何とでもなる。
 そう思っていた。

 異変に気付いたのは、自分自身じゃなく、琴音だった。
「クロ、毛薄くなってない?」
 そうだろうか、ユオに撫でられすぎたから?
 そうじゃない。確かにちょっと薄くなっている気がする。
 ――なんとなく身体の動きも鈍ってきた気がする。運動不足かな?

 ユオが危ないお仕事なので、今日はゆっくり屋根の上で日向ぼっこ――したかったのだが、どうにも登れず、今日はお休みのユキに上げてもらった。
 屋根の上、二人でいつものように会話する。
「寿命なんだよ」
 ユキは呟くように言った。
 寿命?
 おかしいよ、だって、時が遡るのに?
「クロの身体は巻き戻らない。クロが無意識にそう望んだから。普通、リセットする力が強すぎて、負けちゃうんだけど」
 どういうこと? 考えても私にはわからない。
「そもそも、猫にしては賢いなぁと思ってた――誰も口にはしなかったけど」
 そう言って、ユキは私を撫でた。なぜかその後尻尾も触る。嫌だったけど、大事な家族なので、まあ、ちょっと我慢する。
 二本ある私の尻尾をユキは右手と左手で片方ずつ優しく掴んで放した、
「最初、ユオはさ、仲間だと思ったんだって」
 仲間?
「自分と同じ、人では無い者、おぼろげな幻が身体を持ったもの――幻魔って私達の世界では呼んでるけど」
 私は猫だよ?
「そ。クロは猫だ。ただちょっと変った力を持った猫。――私もユオも琴音も、どうでも良いのだけど」
 そう言って、ユキは寝転がった。私も、屋根に伏せてまどろみに入る。
 でも、ちょっと眠れない。
「何でそんな事を言ったかっていうとさ」
 ユキはそう言って言葉を切った。
 マイペースでいつも無表情のようにぽけーっとしてる彼女は、珍しくちょっと悲しそうな表情になった。
 まるで、お別れを告げるときみたいな。
「たぶん、後ちょっとでクロは死んじゃう」
 そう言って、ぎゅーっと、ユオみたいに私を抱きかかえ、抱きしめた。
 私の身体はちょっと湿った。
 
 私が死ぬ。
 まあ、それは訪れることで、しょうがないなと思っていた、だから実はあんまり怖くは無い。
 だって、幸せなのだから。
 ユオを悲しませたくないからこっそり消えようかと思ったけど、ユキに拒否された。
 そんなことしても、私が泣くからばれるよ、と。ばらすよと。みんなの目の前でぽっくりいってくれと――猫的にはどうなのかなぁ。
 可能な限り、ユオや琴音や、ユキのそばに居ようと決めた。
 琴音ご執心の歯磨きも無我の極致で受け入れた。
「クロ? 大丈夫ですか? 最近元気無いのです……」
 膝に私を乗っけて私を撫でるユオは、心配そうに私に言う。
 最近寝ていることが増えた。
 狩りも、満足に出来ない。
 実は時々粗相して、ユキにこっそり処理してもらっている。
 ユキの言っていたとおり、寿命なのだなぁ、と実感する。
 だから、心配しないで、とにゃーとなく。
 でも、ユオはは悲しそうな表情のままだった。
「ずっと、ずーと一緒に居てくださいなのです」
 きっとユオももわかってるのだ。
 何年もずっと一緒に居たのだから。
 私は、幸せだった。だからそんなに悲しそうな顔をしないで。
 でも、私はニャーとしか鳴けない。想いを伝えられない。
 もどかしい。
 言葉が喋れたらなぁ。
 人間だったらなぁ。
 でも、それだときっと、こうして膝の上で丸まることも、ユオに籠で色々な所に連れて行ってもらうのも、琴音と大乱闘することも無かっただろう。
 だから、猫で満足だ。
 ちょっと、がんばって起き上がって、ユオの顔を舐めにかかる。
 くすぐったいです、とユオはようやく笑顔を見せた。

 今日がその日だとなんとなくわかった。
 何故か身体がしゃきっとして、昔に戻ったみたいだった。
 最近残すご飯をおかわりして、琴音を不思議がらさせた。
 ユキが気づいたのか、今日は自分ひとりで大丈夫だから、遊びに行っておいでと、ユオと私を遊びに行かせてくれた。
 久しぶりに、籠に乗ってユオとお出かけ。
 ユオは近くの丘に行くことにしたようだった。
 ゆらゆら揺られながら、周りの景色を眺める。
 よく遊んだ神社、水浴びした川、みんなでお花見をした桜の木、泥だらけになってユオ達が手伝った田んぼ――遠くに見える私が疎まれていた村。
 ユオは今日はやけにおしゃべりだった。
 暑いですねー、とか、何して遊ぼうとか、今日の晩御飯は何でしょうね、とか。
 私は相槌がわりにニャーと鳴く。

 丘の上で久しぶりに私は走り回った。
 ユオが拾った木の枝をてしてししたり、一緒に転げまわったり、お弁当食べたり、二人して、げじげじまみれになったり。
 夕方家に帰った頃には、ユオも私もへとへとで、琴音があきれていた。
 いつものように、皆で夕飯を取って、やがて夜になる。たぶんそろそろだ。
 大分身体が動かなくなってきた。
 寝床の籠の中で、私は寝そべりながら振り返る。
 たぶん良い人生だったんじゃないかなぁ。
 お腹一杯、幸せだもの。
 そばで大好きな人がいて、さびしくもない。
 もうちょっと、生きていたかったけど、しょうがない。

 ただ、一つ心残りがあった。
 ユオだ。
 繰り返される時の中、必死に生きるためにユオが選んだ仕事は戦うこと。
 時々、傷だらけになって帰ってくる。
 ものすごく頑丈で、一晩経ったらけろりとしている。
 でも、死にそうになったことが何回もあった。魔法の類に弱いらしいとユキは言っていた。
 ――今も実はその危機にユオはさらされていた。
 死期が近いからか、私にはそれが見えた。
 ユオの胸に薄ぼんやりと光る淡い文様、そしてそれに導かれるようにやって来た異形の人型。
 この前危険なお仕事に行っていたことに気づく。
 悪意、執念で生まれた魍魎達。彼らが残した小さな痕跡
 誰にも、認識されない呪いの類。あまりに弱くて、ユキにも認識されなかったぐらいの。
 何故か、私はそれを知っていた。
「私が教えたんだけどね」
 そばで声がする。見ると、琴音――いや、ちがう、そっくりだけど、別人の、足元まで髪を垂らした女の子がそこに居た。
 あなた誰?
「私は認識されないはぐれもの琴音を見守るただの日記。それより、どうするの、死ぬわよあの子」
 危機を知らせようと鳴こうにも、既に私はそんな力さえ無くなっていた。
 その間にも、化け物はゆっくりとユオに近づいていく。
 どうにか、できないの?
「私はなにも出来ないの。見ること、記録すること。それ以外はしちゃいけないの」
 そんな、じゃあ、どうすればいいのだろう。
 琴音に似た少女は、不思議そうに首をかしげた。
「あなた、何もしないつもり?」
 だって、私は動けないし――何故か方法が私の頭にあった。
 目の前の女の子が、教えてくれた?
「私は記録するために、日記を開けただけ。あなたがそれを覗き込んだだけよ」
 何故か、悪戯っぽく笑って、それよりどうするの、と聞いてきた。
 もちろん決まっている。私は最後の力を振り絞って私は、自分自身から飛び出した。
 私の力――長年疎まれ、悪意にさらされた私が身につけていたのは、それを突っぱね、どれらを喰らう同種の力。
 弱い、弱い力だけれど、それでも、ユオを襲うそいつを食散らすのは容易だった。
 やがて、私は文様も喰い、先程飛びだした自分の亡骸に戻ろうとして――私はあることを思いついて、ユオに近づき、彼女の顔を舐めた。
 いつものように。擦り寄って、ごろごろと、甘える。
 もちろん彼女は気付かない。
 さよなら。
 ありがとう。
 私は、踵を返した。
「いいの? 死ぬわよあなた」
 いいよ、別に。
「妖怪として生きていく気は無いの?」
 面白がるように少女は言った。
「そのさっき喰らったのと尻尾の力で、まあ、それなりの妖怪にはなるじゃない」
 わかってるくせに。
 ユオが、それらを屠ってきたことを。
 人を喰らうそれらと戦ってきたことを。私が、私じゃなくなることを。
 だからこそ、私は託すことを選んだ。
 お願いね。
 きっとそれが一番良い選択なのだろうと思う。

 私は、自分の亡骸に入った。
 暗い暗い闇に包まれる。
 意識が途端に途切れがちになる。
 深い深い眠りの中で、私は人生とユオに別れを告げた。
 
 その夜、小さな黒い猫はその人生を終えた。
 だらりと力なく下がった尻尾は何故か1本だった。

 
 目が覚めたのは、ずいぶん経ってからだった。
「うわっ、大分喰らってるや」
 びっくりしていると、琴音にそっくりの少女が声をかけてきた。
「はじめまして」
「……前にもあってるよ」
「いえ、あなたとはじめてのはず」
――そうだった。私は死んだのだった。
 私は、クロじゃない――クロが生んだ呪いの類。その証拠に手が人間のものだ。
 第一目線が違う。
「でも、私はクロでいいや」
 だって本物のクロが託してくれたのだから。
 それに、ユオが付けてくれた名前だし。
「あ、そう。それにしても、予想外だったわ」
「? 何が」
 どうでも良いけど、ユオ可愛いなあ。
 私の眼下で走り回るユオを見て思わずうっとりする私。
「猫耳は予想外だわ」

 私はの名前はクロ。
 呪いであって、残念ながら猫ではない。
 他の呪いを喰らい、成長するし、悪意と、混沌にまみれたこの世界で、それらを喰ら尽くさんとし、呪った人を幸せに見守るそんな呪いである。
 私は一生懸命走り回るユオを見ながら、一生呪い続けてやると誓った。


「猫耳が生えたです!?」

 終

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