●● ループ・ループ・ループ --- 第1章 ●●

「酒井さん、友達になってくださいっ!」
 それは突然の事。平山みのわが近づいてきたと思ったら、私に向かってそう言ってきたのだ。
 移動教室が終わり、教室には私とみのわしかいなかった。
「え?」
 急な言葉に私は戸惑った。
「私、前から友達になりたいって思ってたの」
 思ったよりも澄んだ声。
 うっとうしげに、顔にかかった前髪を払いながら彼女は言った。
 別人かと思うくらい弾んだ調子に私は困惑した。
 
「えっと……」
「あ、急にごめんね。驚いた? そうだよね、急にこんなこと言っても困るだけだね」
 そう言って、みのわは苦笑して私の前の席に座った。
 ちょうど私の目を合わす事が出来るベストポディション。
「ごめんね、ハイテンションで」
「いや、別にいいけど…… 何でまた急に」
「そう思う?」
 彼女の声色には面白がるような、そして寂しそうな響きがあった。
 何故かはわからなかったけれど。
「別に友達になってもいいけど……。 こういうのってこんな風に告白するものだっけ?」
 どう言う風か、と聞かれても答えられはしないけれど。
 私が思うに、何となく遊んでいつの間にか友達と言う仲になっているんじゃないのかな?
「別にそれでも良かったんだけどね。なんて言うんだろ、ちょっと事情があってさ」
「?」
「気にしなくていいよ。確か明日暇だよね。一緒に映画でも見に行こうよ。面白いのがあるの。近づきの印に私の奢りでさ、どう?」
「別にいいけど」
 暇、と決めつけられてむっとしたけれど確かにその通り。特に断る理由も無いので私は了解した。
「ありがと、じゃあまた放課後ね」
 そう言って、彼女は何事もなかったように授業の準備をしに自分の机に戻っていた。

「明日何か予定ある?」
 ベッドに転がってぐうたらと雑誌を読んでいると、妹のあおばが聞いてきた。
 夕食が終わり、普段は勉強している時間帯。
 私と違い学習机に背筋をまっすぐ伸ばして座っている。
 手に持っている物が勉学と関係のない文庫本のようなので、結局私と変わらないけれど。
「友達と遊ぶ」
 驚いたように、あおばが私を見た。
 何? 別に、私が遊びに行くのはいつもの事でしょうに。
「どんな子なの?」
 何故かいつもは聞いてこないくせに、興味深そうにあおばは聞いてくる。
「知らない。初めて遊ぶこだから」
「初めてって、仲良くなかたんだ」
「まあね。まともに話したのも、今日がはじめてかも」
 林みのわはクラスの中でおとなしい、一言でいえば影が薄い子。
 友達がいる様子もなく、いつも一人で読書をしていた様に思う。
 実際、彼女と話したのは本当に久しぶりだった。話した事があると言っても、掃除や授業の時に必要があって話しただけ。
「よく誘いに乗ったよね」
 お姉ちゃん、案外人見知りなのに。
 さらりと酷いことを言った気がするぞ?
 私が睨むと、あおばは堪えてないのか、だって本当のことだもんと言って笑う。
 まあ、確かに事実ではあるのだけど。いつも、一言多い。
「ちょっと興味があったからさ」
 不貞腐れながら、一応そう答える。
 根暗だった子が(偏見だけど)急に話しかけてきて、しかも人が変わったように明るくなって。
 理由はわからないのだけれど、暇つぶしには、ちょうど良い様に思えた。
「残念。一緒に買い物行ってもらおうと思ったのに」
「あんたね、また小物増やす気?」
「自分のお金だから良いじゃん」
「私と共同スペースなんだから、あんまり増やさないでよ」
 私とあおばは一緒の部屋をあてがわれている。
 十年前に建てられた我が家は、不思議な事に子供部屋が一つしかなかった。
 おかげで、あおばと二人窮屈に過ごしている。
 あおばは、ものすごく寂しがり屋なので、今の状態で満足しているらしいが、私としては早く一人暮らしでもしてみたい。
「お姉ちゃんも嫌いじゃないでしょ?」
 あたり一面所狭しと置かれているぬいぐるみや、可愛らしい小物の数々を指差しあおばは言った。
「嫌いじゃないけど、動きづらい」
 実際、それらを並べる棚(カラーボックス)を5個も部屋にあるせいで我が城は手狭である。
 地震でも起これば、ぬいぐるみや小物達の雪崩が起こって、大惨事に違いない。
「じゃあ、代わりに遊んでよ」
 そう言ってオセロを持ってくる青葉。
 何の代わりかわからなかったけれど、いつものように私はあおばの要求どおり遊んであげることにした。
 いつものひと時のはずなのに、何故か不思議だった。
 私の部屋って、こんなに賑やかだったっけ?

 放課後、待ち合わせ場所に訪れた彼女の姿を見て私は唖然とした。
 シンプルなカットワークの刺しゅうが入った白のコットンワンピ―スに、グレーのカットソー、下には淡い青のデニムを着て、足には青色のパンプスを履いていた。
 正直言って、とって綺麗。私と違い背もそこそこ高いのでモデルをやっていけるかもしれない。
 クラスの中での印象に残らない姿からは想像はできない。
 うっとうしかった前髪も切っていた。長い黒髪が艶々とした美しさを主張している。
 気にもしていなかったけれど、結構整った顔立ち。正直私は敗北感を味わった。
 ちなみに私はそれほど気張っていなかったので普段着の白のパーカーに赤と黒のチェックのスカート。靴だって、学校で履いている黒のスニーカー。
 結構自慢だった茶色気味のセミロングの髪の毛だって、長く綺麗な黒髪には見劣りしていた。
「どうして、地面にうずくまってるの?」
 どこか痛いの、と心配そうに言ってくるみのわ。
「いや、ちょっと心にダメージを」
「ああ」
 彼女は悟ったらしく、ちょっと意地悪な笑みを浮かべた。それがまた似合っていて憎らしい。
「結構綺麗でしょ?」
 そう言って、一回転。教室の姿と比べると輝いて見える。流石に花や光は出てこないけど。
「でも、酒井さんも可愛いよ?」
「うん、わかりきった慰めありがとう……」
「いや、お世辞じゃないけど」
 真顔で言われ、私は顔が熱くなった。
「こんな所とかね」
 もしかしてからかわれた、私?
「じゃあ、映画行こうか」
 そう言って手を差し出す彼女。
 その笑顔に毒気を抜かれ、私は彼女についていく。
 まあ、もちろん手は握らずに。
 不思議な事に映画は私の好みとばっちり噛みあっていた。
 おばあさんとひょんなことで知り合った文芸部とのふれあいの日々。
 特に大きな事件もなく、ほのぼのとしたストーリーに心が温かくなった。
 学校の友達とは絶対に見ない類の映画だ。見たとしても、私以外退屈するに違いない。
 興味がなかったはずなのに、結局みのわよりも見入ってしまった。
 伴侶を失い子供も離れ、孫とも数年会っていない孤独なおばあさん。
 そんな生活を嘆くこともなく、自分の日常を、平凡な生活の些細なことで喜び謳歌するその姿は私の理想を表しているよう。
 私は将来あんなふうに笑っていられるだろうか?
 映画が終わり、私達は近くの喫茶店でひと休憩。
「面白かったでしょ」
「うん。正直期待してなかったんだけどね」
「絶対酒井さんの好きなものだと思ったもの」
 そう言って嬉しそうに笑うみのわ。
「私の好み知ってんの?」
「うん、まあいつも見てたし」
 見られてたのか。
「いや、最近だよ、うん」
 慌てた様に否定するみのわ。
「気を悪くしたらごめんね。本当、その悪気があった訳じゃないから……」
 申し訳なさそうに、ちょっと顔を俯けて彼女は言った。こういう所はクラスにいるみのわだった。
 気弱で、何かあったらすぐに申し訳なさそうにする彼女。
「別にいいよ。気にしてないから」
 私は慌てて言った。
「本当?」
 そう聞くみのわは上目使いに私を見ていて、その表情は私が男だったらきっとひとたまりも無い位の可愛さを持っていた。もちろん女である私に全く効きはしなかったけれど。
「うん。本当」
 何故かこれ以上悲しそうな顔をさせたくなかったのはなんでだろう?

 帰り際、道が一緒だから途中まで、と言うみのわの誘いに乗って一緒に帰路を歩く。
 その間中私達は話していた。と言っても、私に話題を合わせてくれているようで、主にみのわが私の話題についてくる形式で話は進んだ。
 まるで大人の女性とでも話している気分だった。
 どこか理知的で、人を引き込む話し方。それでいて底抜けに明るい。
「あのさ、映画代とかやっぱり払うよ」
 別れ際になって私は言った。
「え?」
 その言葉にきょとんとみのわは私を見る。本当に自分が奢るつもりだったらしい。
「私もちょっと申し訳ないし。その、実を言うとちょっと興味本位で付き合ったんだ」
 とりあえず誤魔化すために苦笑い。何を、と聞かれてもまあいろいろと。
「正直、友達とか全然思ってなくて。本当暇だったから来ただけで」
 実際、飽きたらすぐ帰る気でいた。
「でも林さんが本当に楽しそうにしてるの見たら、ちょっと申し訳なくて」
 喫茶店の代金も結局押し切られる形で払ってもらった。
「別にいいのに」
 彼女は本当に気にしてないように言った。
「それに、他の友達には奢ってもらったりしてるでしょ?」
 不思議そうに彼女は言った。
「まあ、そうなんだけど。……友達になりたいからかな」
「え?」
「最初は、奢ってもらうから、とかそう言うの無しにしたい」
 恥ずかしかったけど、言いきった。
 彼女も遊びに誘うのとかも勇気がすごく必要だったと思うし、何故かその気持ちに応えたいと思ってしまった。
 純粋な好意に私は弱いのだ。
「ありがと」
 彼女は笑った。本当に嬉しそうに。
「でも気持ちだけでいいよ。その代わり、めぐちゃん、って呼んでいい?」
「いいよ」
「じゃあ、私はみのわで」
「うん」
「よろしくね!」
 そう言って手を差し出すみのわ。
「……よろしく。でも、恥ずかしくない? こういう事してさ」
 その手を握り返した私の問いにみのわは首を振った。
「嬉しさの方が上だから」
 そう言って、彼女はまた笑った。

 家に帰ると妹のあおばがぬいぐるみを抱えて寝転がっていた。
 胸には大きなクマのぬいぐるみ。
 幸せそうな寝顔は可愛らしいといえば、まあ妹ながら認めよう。
 けど、邪魔。
 私は問答むようで蹴り飛ばした。妹ではなく。クマの方を。
 衝撃で、あおばは飛び起きる。
「おはよ」
 私は勤めて笑顔で言ってあげた。
「……おはよう」
 寝ぼけ眼の我が妹は答える。
「何、寝てたの?」
「だって、お姉ちゃんが遊んでくれなかったもん」
 寝ぼけているのか、少々言葉が拙い。
「はい、はいごめんね。じゃあ、遊んであげる」
 そう言って、無防備なあおばの脇を思いっきりくすぐってあげる。
「ちょっと、あはっ……やっ……めて、お姉ちゃん!」
「めえ、覚めた?」
「……おかげさまで」
「そ。よかたった。じゃあ、ちょっと横のいて。座りたいから」
「ひどいよ!?」
 そう良いつつ脇に退いてスペースを確保するあおば。
 私はそこにしゃがみこむ。
「この量いったいどしたの」
 部屋はぬいぐるみだらけだった。
 足の踏み場も無いくらい。
「商店街のくじ引きで当たったの」
「それにしても、多くない?」
 私は、近くにあった白熊のぬいぐるみを何の気なしに抱えながら言った。
「ぬいぐるみ好きな人が提供してくれたらしいよ?」
「ちなみに何等賞?」
「えっと――3等賞? 1位はこの10倍だったよ」
「どんだけぬいぐるみ好きなのよ、その人」
「さあ? おかげで楽しい事になったから良いじゃん」
「まあ、愉快なことになってるけど」
 女子高生の部屋がのぬいぐるみだらけのファンシーな空間に。
 嫌と言うか、もうどうにでもなれって感じ?
 私は、えいやっと寝転がった。
 ぬいぐるみまみれの高校生。
 もふもふで、案外心地よい。
「あ、いいなー」
 そう言って、あおばも真似して倒れこむ。二人で、ごろごろ、もふもふ。
「なんか、楽しいね」
「そうねー。少し恥ずかしいけど」
 絶対、クラスメイトには見られたくない。
「いいじゃん、みんなでもふもふしようよ」
「絶対嫌だ」
 その後、どうにかぬいぐるみ達を積み上げて(ある程度)
 元の部屋に戻したのは言うまでも無い。
 

 
「変わったよねみのわ」
「そう見える?」
「まるで別人みたい」
 次の日の帰り道私はみのわと帰っていた。
「まあ、クラスのみんなは気にしてなかったけれど」
 クラスの皆はみのわの変化を特に気にしたようでなく、いつもの通りだった。
 元々接点も無いから髪を切っただけでは気にならないのかもしれない。
「そうだろうね」
 特に気にしてないようなみのわ。
「まあ、別いいけど。でも友達になれて良かったな」
「そう言えば、他の友達は? あ、部活か」
「そうだけど。ねえ、みのわってどれくらい私の事知ってるの」
 それはふと湧きあがった些細な疑問だった。
「そうだね、……正直に言って良い?」
「うん」
「基本的に学校の事なら全部。日常生活の事とかも大体は。たぶん食べ物の好みや好きな動物とかもわかるかな」
「……言い方悪いけど、それってストーカーじゃない?」
 私はかなり引いた。正直そこまでとは……
「じょ、冗談だよね」
「いや、本当」
 きっぱり断言。私は急に身の危険を感じてみのわから少し距離をとる。気づかれないように表情は変えないよう気をつける。
「ごめん、引いた? てか怖いよね」
 悲しそうに笑うみのわ。
「……うん。正直」
「もし、さ、ずっとこの時間が繰り返されてきたって言ったら信じる?」
「へ?」
 唐突の宣言。
 そう言ってみのわが話した事は予想外の内容だった。
 みのわが言うにこの世界は三日間で巻き戻りを繰り返しているらしい。
「信じられないよね」
 みのわは言った。
「でも本当なの」
 その話し方は嘘をついているように思えず、とても落ち着いていた。まるで天気予報を話すように。
「信じてとは言わない。めぐちゃんにしたら記憶が無いし、ストーキングのための馬鹿な言い訳にしか聞こえないと思う」
「……」
「実際めぐちゃんを調べてたのは本当だし。でも信じて、私めぐちゃんを傷つけようとか思ってないから。ただ仲良くしたいだけ」
「でも――」
「うん、理由にならないよね。罵ってもいいよ。もう絶対そばに寄らないって約束もする」
 機械的な話し方とは裏腹に、みのわの顔はどんどん歪んで言った。でも涙は流さなかった。泣いてはだめだと言うように。
 私からすれば当たり前で、正直裏切られた気分。言い訳までされてとっても惨め。でも――
「証拠は?」
「え?」
「明日のニュースの内容とかわかるでしょ」
「う、うん」
「正直、とっても傷ついたし、今もものすごく怒鳴りたい。でも、昨日は楽しかったから」
「……」
「友達だからね、一応信じてあげる。でも嘘ついてたってわかったらその根性叩き直してあげるから」
「こ、怖くないの? ……気持ち悪くとかない?」
「正直無いって言ったら嘘になるけど、でもそこまで思われてたんなら悪い気はしないって言うかね――みのわの泣き顔は見たくなかったから」
 せっかく友達になれたのだから、こんなことで子の事別れたくないな、と思った私は馬鹿だろうか?
 きっと馬鹿だね、と自分自身に苦笑いしながら、泣きだしたみのわの頭を撫でた。
 だって、黙っていればわからない事を正直に話したみのわがもっと馬鹿だと思うから」

「ねえ、あおば」
「何、お姉ちゃん」
 家に帰って、お風呂に入って既にお布団敷いて。電気を消して。さあ、寝るかと言うところで私は隣で、寝る態勢のあおばに話しかけた。
「信じられない話を聞かされた時ってどうしたら良い?」
「どんなこと?」
 私はありのままに話した。あおばは、そのまま何も言わず黙って聞いている。
「お姉ちゃんはどうしたいの?」
「まあ、決まってるんだけどね。殴って、終わり」
「殴るんだ……」
「うん、で、嘘つかないように約束させる」
「それで良いんじゃない?」
 何を悩んでいるのかと、あおばは問う。
「本当の話だたらさ、ちょっと嫌だなって」
「その子以外覚えてないんでしょ、良いじゃん忘れるんだから」
「それが、ちょっとね」
 もし、本当だとしたら、せっかく仲良くなったのに、と思ってしまう。
 嘘をつく子には思えないし。
 万が一、本当の話だったら?
「本当にそうだとしても、忘れる方が良いと思うな」
 あおばは、珍しく真面目な口調で答えた。
「なんで?」
「地獄だよ? きっと。毎日同じことの繰り返しって。私だったら壊れちゃう」
「……だたっら、やっぱり放っておけないな」
 みのわがそんな目に遭っているのだとしたら。
「それにさ、きっと大丈夫な気がするよ。――一人じゃないなら」
 あおばも出来れば、道連れにね、とふざけた調子で言ってみたけれど、返事は無く、既に寝てしまったようだった。
 私も寝るか。
 本当かどうかは、明日わかることだし。

「……馬鹿」
 あおばの呟きは、めぐみに届くことは無かった。


 
 朝起きて、あおばと一緒に昨日みのわが言っていたとおりの内容のニュースが流れているか、天気が一緒か、確認してみた。
 二人で固まった。
 だって、昨日彼女が言っていた通り、ある芸能人が心筋梗塞で無くなり、又日本のサッカーチームが負けていたり、晴れ時々曇りで、気温もぴったりで。
 挙句、今日の運勢のランキングまで合致していた。
 私は頭を抱えた。
 あおばは何故か、涼しい顔。
「だって、まだ覚えたまま時間が巻き戻るかどうかわからないし」
 今更悩んだって仕方ないと。
 割り切れない私は、朝ごはんのパンをいつもの半分の速度で食べ始めたのだった。

「信じてもらえた?」
 教室に着くなり、みのわはそう言って話しかけてきた。
「出来れば嘘であって欲しかったけどね……」
 それが正直な感想だ。
「わかってどうにかなるものじゃないし」
「でも、全然覚えてないもんなあ」
 同じ時間が続いていたとは思えない。実際まだ半信半疑だ。いや、そう思いたい。
「基本的に、みんな三日経つと忘れちゃうみたい」
「でも、どうしてこんなことが起こってるんだろう?」
「……さあ」
 その言い方に引っかかりを感じた。
「何か隠してる?」
「うん」
 あっさりと認めたみのわに私は少し拍子抜けした。
「めぐちゃんに嘘つきたくないから」
 私の考えを読み取ったらしい彼女は言った。
「でも教えないよ。危ないし、めぐちゃんをそんな目に遭わせたくないから」
 そう言って、思い出したように一言。
「今日カラオケの帰り道、土手を通らないでね!」
 ……何と言うか、けっこうみのわはドジだと思った。

 放課後みのわの言った通りに私は友達とカラオケに行った。で、その帰り道土手を通ることにした。
 危ないと言われたら来てしまう、それが私なのだった。
 そもそも何が起こっているのか知りたいし。
 土手を歩いて数分どなり声が聞こえた。そこにはみにわともう一人いた。
 同級生の木谷だった。何があったのか、いつもゴムで結んでいる、赤っぽい髪を乱して、制服も全体的に汚れていた。
 話しかけようか、迷ったが近づくにつれて二人の様子がおかしい事に気づく。何だか争っているみただった。
 私が駆け寄ろうとしたちょうどその時、みのわがこけた。と言うか突き飛ばされて倒れた。
 私は木谷さんが手に包丁を持っているのを見た。彼女が倒れたみのわに包丁をつきたてようとしたのを見て、私は慌てて木谷に詰め寄って、包丁を奪おうとした。
 そして、私は包丁を胸に刺された。
 目の前が真っ暗になった。

 朝、いつものようにあおばと一緒に起きて、朝ごはんを食べようとリビングのダイニングテーブルにある椅子座ると、寝ぼけ眼の頭の中にテレビニュースのアナウンサーの声が聞こえてくる。
 昨日起きた銀行強盗の犯人が捕まった云々――あれ、なんか聞いたことある。
 不思議に思って、机の上にある卓上電波時計の日付を見る。
 天気予報や途中のアナウンサーの言い間違いは3日前の通り。新聞の一面も同様だった。
 三日前の曜日。忘れもしない、みのわの告白(?)があった日だ。
 ぼんやりとしていた思考もはっきりし、昨日の出来事も思い出せた。
 刺されたはずの胸は傷一つ無い綺麗なままだった。
「どうしたの?」
 私の動作を不思議そうに見ているあおば。
「何って、巻き戻ってるよね、これ」
 その問いに、あおばは不思議そうに小首を傾げるだけだった。
 寂しくなって、思いっきり抱きしめたら、何故かとっても喜ばれた。
 
 学校に着くと私はみのわを探した。
 彼女は3日前と同じようにうっとうしい前髪を垂らしたままで本を読んでいた。
「みのわ」
 私の声に驚いたように本から顔をあげて私を見た。
「めぐちゃん!? お、覚えてるの?」
「うん。全部覚えている」
 ちょっと来て、と私は彼女を引っ張った。
「授業始まっちゃうよ?」
「一度受けたんだからいいでしょ」
 そう言って私はみのわと共に学校を出た。因みに、先生には気分が悪いと言って早退にしてもらって。

「もう、授業サボっちゃだめでしょ」
「言いながらもあんまり抵抗はしないよね」
「まあ、いい加減飽き飽きしていたし」
 みのわの提案で彼女の家に向かうことにした。
 古いでしょ、と言うみのわの言うとおり木造建ての日本家屋はとても歴史を感じさせるものだった。
「でも立派じゃん」
「広いだけなんだけどね。まあ、いらっしゃい」
「おじゃましまーす」
 案内されたのは広い居間。私は畳がここまで多く敷き詰められているのを初めて見た。
「粗茶ですけど」
 そう言って、お茶を淹れてくれた。
「茶菓子は無いからごめんね」
「別にいいよ。でも広いね。何人暮らしなの?」
「両親と三人暮らしだよ。まあ、死んだおじいちゃんの家なんだけどね」
 お茶を飲んでくつろぐ私を、みのわは何故かずっと見てくる。
「なんか付いてる?」
「ううん。いや、懐かしくて。久しぶりなのよねー、我が家に私以外の人がいるの」
「え? だって――」
「両親は商店街の景品の温泉旅行に行って帰ってこないの。――ほら、同じ時間が繰り返すでしょ」
「……ごめん」
「気にしないで。でも、三泊四日って豪勢だよねー」
 私も行きたかったよ―、とわざとらしく彼女は笑った。
「……何回ぐらい時間って繰り返してるの?」
「さあ? 数えるの途中でやめたから。でも私が覚えているだけでも五百回はいってるかな」
 何でもない様に彼女は言った。
「おかげで結構大人びちゃった」
 ふざけた風に彼女は言ったけど、私は彼女が過ごした時間を考えた。家にずっと一人。私だって、たまに一人きりになりたい時はあるけど、でもずっとはやっぱり嫌だ。
 一人ぼっちの夜。この広い家に一人きりなんて、私だったらきっと耐えられない。それを何年も。
 急に涙がぼろぼろ溢れてきた。
「ありがと、泣いてくれて。でも、もう大丈夫だから」
 私はみのわにあやされた。本当なら恥ずかしいんだろうけど、そんな気持ちにならなかった。
 みのわの華奢な腕が私を包んでくれた。私は思いっきり泣いた。

「ごめんね、私が泣いちゃって」
「ううん、とっても嬉しかった」
 そう言ってありがとう、笑顔で言われて、私はちょっと申し訳なくなった。
「泣きたくなったらいつでも、お姉さんの胸に飛び込んでいいから」
 わざとふざけるようにみのわは言った。
「……そんなに胸ないくせに」
 その気遣いが嬉しくて、でも恥ずかしくて、誤魔化すように私は言った。
「その分心が広いでしょ」
 けらけら、と彼女は笑って済ました。こういう所が大人なのだろう。
「言われてみてから思ったけど、みのわって何だか大人びてるね」
「五年以上過ごしているもの」
「……辛くなかった?」
「最初はね。でも以外と今はやっていけるよ? けっこういい事もあるし」
 例えばねー、と彼女は一瞬考え込む仕草をした。こういう所は私より子供っぽい。
「お金も戻るから、ちょっと贅沢できる」
 この前みたいにね―。と彼女は笑って言った。
 ……だから気前が良かったのか。
「まあ、私の場合貧乏性だからそんなに贅沢しないけど。この前みたいな出費は一か月ぶりかな」
「ふーん」
「あと、時間があり余ってたから、図書館の本や教科書全部読み返して、勉強もばっちり。大学行ったとしてもたぶん通用するぐらいの学力はあると思います」
「……」
 みのわは結構真面目らしい。私だったら、、時間があってもそんな事はしないのに。
「使えなかったパソコンもブラインドタッチまで覚えました」
「……時間が普通に戻ったらすごいね」
「結構成長したもんね。それに夢も叶えれそうだし」
「夢?」
「うん。イラストレーター。漫画も描きたいけど話を考えるのはちょっと苦手なんだよね」
「嘘っ、見せてもらっていい?」
「うーん、昨日だったら良かったんだけどね」
「?何で」
「ほら、時間がリセットされるから」
「ああ……」
「おかげで画力は恐ろしいほど上がったよ。何千何万枚描いたことか」
 そう言って、彼女は手をやれやれという風に振って見せた。
「とまあ、元気にやっておりますから。そんなに心配しなくてもいいよ」
「わかった。けどこれからどうするの?」
 みのわが割り切っているのに、これ以上この話題を引きずるのも悪い気がして私は本題を切りだした。
「この二日間は自由時間かな。問題は三日目だね。いつもその日にリセットされるから」
「原因はわかってるの?」
「いや、全く。調べてみたけれどよくはわからないんだよね。でも、きっかけは覚えてるよ」
「きっかけ?」
「覚えてない? 昨日刺されたときみたいな事、前にもあったんだよ」
 そんな事――考えて私は違和感を覚えた。
「そんな事はあったような…… 覚えてないな」
「今までの事も覚えてなかったもんね。でも一番初めのリセットされる前に私達は昨日の土手に来ていたの。私は何故か無性に食べたくなったラーメン屋の帰りに。めぐちゃんは――」
「カラオケの帰り?」
「そ。でもってさらさちゃん――木谷は家を飛び出してきていたの」
「……何で包丁を持ってたの」
「自殺する気だったみたい」
「えっ?」
「それを止めようとした私達を」
 そう言ってみのわは首を切る動作をした。
「まあ、実際は腹部とか、手足とかだったかな」
「……」
「恐慌状態の人間って怖いよねー。だからと言って、止めないでおこうとは思わないけど」
 私が黙ったまま何も言えないでいると、みのわは問いかけるように私を見た。
「怖い?」
「うん……」
「私も、そうだった。死んでるかも知れないものね私達。案外死後の世界とか?」
 笑えない冗談だった。
「まあ、殺されかけたわけだけど、私はさらさちゃんを止めたいと思ってるんだ」
「へ?」
「確かにこんな目に遭っちゃったけれど、彼女がどうして死のうとしたのか調べているうちにね、何て言うか同情? しちゃった訳なの」
 そう言って、彼女はどこか遠くを見た。今までの時間を思い出しているのだろうか?
「何年もおんなじ時間に閉じ込められるようになっても?」
「うん。私も死のうと思ったことが何回もあるもん。同じ時間を過ごして、恨んだりもしたけど、いつのまにかそういう気持ちが馬鹿らしく思えてきたわけ」
 お茶淹れてくるね、と言って彼女は立ち上がった。
 私も一緒について行く。
「何でそんなに簡単に許せるの?」
 廊下を歩きながら私は聞いた。
 正直私は今わからぬ怒りで満たされていた。顔に出たのか、私の顔を見たみのわが苦笑した。
「そんなに簡単に許しはしなかったよ。半年は軽く超えてたかな」
 そう言って、のれんを押して、台所に入っていく。そこは薄暗い、一人でいるのが躊躇われる様な空間だった。
「でも実際怒ってばっかりだと疲れて、本当気が狂いそうだった」
 そう言った声は本当に穏やかで、でも何故か辛そうだった。ガスコンロの火をつける音が、チチチと静かに響く。
「実際さらさちゃんを許そう、って思えたときは少し気が楽になった。結局何にも変わらないままだけどね」
「私は、許せない」
「うん。別にいいと思うよ」
 否定するでもなく、いつもと変わらぬ口調でみのわは言った。
「でも、みのわは止めに行くんでしょ」
「うん」
「じゃあ、私も手伝う。木谷に思いっきり恨み文句言ってやる」
「ありがと」
 そしてにっこりほほ笑んだ
「一緒にがんばろうね」
 その言葉がなぜか胸に響いた。
 私はみのわの背中にくっついて、頭を彼女身体に預ける。
「……元通りになるかな?」
「きっと大丈夫だよ」
 その言葉は根拠が無いけれど、大丈夫だと思えた。


 朝起きると隣にはみのわは既に起きていた。台所に行くと、いい匂いが漂っていた。
「お、起きた? おはよー」
 紺のエプロンをつけていたみのわが言った。いつの間にか前髪も切っていた。
「おはよう。朝ご飯作ってるの?」
「うん。もう出来るから待っててね」
 今日の朝ご飯はわかめと豆腐ときのこの味噌汁に、鮭の切り身、卵焼き、ご飯と言うパン派の我が家では見た事のないメニューだった。古き良き日本の食事。
「旅館に来たみたい」
「またまた、お世辞は良いよ」
「でも、ここに泊まって良かった」
 私は正直に言った。
 同じ日を過ごすのは嫌だったと言うか、耐えられなかった。
 私はみのわに泊めてほしいと頼んだのだった。
「そう? 良かった」
 嬉しそうにそう言ってみのわはお茶を淹れてくれた。


「ねえ、木谷ってどうしてそこまで思いつめてんの」
 学校まで一緒に歩木ながら私は言った。死のうとするのはよっぽどの事だろう。
「簡単にまとめて言うと、部活をいじめで退部させられて、父親が浮気して駆け落ち、そして母親が自殺しようとして、病院に入院したから、かな」
「……事前に食い止める事は出来ないのかな?」
 思っていたよりもあまりにハードな内容に私は衝撃を受けつつ言った。
「無理だね。父親の駆け落ちは既に実行されてて、母親は既に病院。いじめにしたって二日でどうにかなるものじゃないよ」
「じゃあ、どうするの?」
「最終日に包丁を奪えたらいいんだけど、成功したためしはないし、かと言って包丁を事前に盗んでも代わりの物を持ってきたからね」
「方法が思いつかないの?」
「うん。だから、仲良くなろうと思ったんだけど」
「仲良く?」
「そう」
 そう言ってみのわが連れてきたのは弓道場の近くの草むら。
「この時間はこの辺りにいるんだけどね」
 その言葉の通り、木谷は草むらにいた。何かを探すように草むらを探っている。
「何してんだろ?」
「えっとね、ほかの部員に携帯電話を放り投げられた、だったと思う」
 草は私達の上半身まで伸びていて、はっきり言って見つけるのは困難だろう。
「手伝うよ」
 みのわがそう言って、声をかける。
「また、あんたか……」
 うっとうしそうに言う木谷。
「そう言わずにさ、携帯電話捨てられたんでしょ」
「!? 何でそれを」
「勘。めぐちゃんも手伝って」
「う、うん」
 一緒に探そうとすると、木谷に睨まれた。
「探さなくていいから、どこかに行って」
「でも――」
「同情するな!!」
 顔を真っ赤にして怒る木谷。
「そんな事しても全然――」
 言いかけた木谷にみのわが急に抱きついた。手の位置からして、明らかに胸をもんでいる。
「ひゃっぁぁ!」
 叫ぶ木谷。……それは確かに叫ぶだろうな。
「そう言うなよ、さらさちゃん」
 そう言って、今度は脇をくすぐり始めた。
「や、やめて」
「仲良くしようよ、ね」
 そう言って木谷を開放する。
「……みのわ」
「気にしないで、スキンシップだから」
 さらりと言い切ったみのわ。ちょっと怖かった。
 木谷は身体を小さくして、小動物のような目でこちらを睨みつけていた。
 最初会ったら何を言ってやろうか、と思っていた気持が九割近く同情に変化していた。
「えっと…… ごめん」
 みのわの代わりに謝る。
「……いいから、もうどこかへ行――てください」
 みのわを意識してか、後半が不自然に敬語になる木谷。なんだか可哀相だった。
「でも、見つかるの?こんな草むらで」
 結局三人で探すことになった。木谷は私達から少し離れたところで探している。
「三人で探せばね。それに――」
「それに?」
「いざとなれば電話をかければいいし」
「最初からかけなよ……」
「まあ、それもそうか」
 そう言って、みのわは携帯電をを取り出して、木谷の携帯電話に電話をかけた。
「……何で知ってるんだよ」
「私と木谷の仲じゃん」
 何、当たり前の事を、と言う風に答えるみのわ。
「そんな仲になった覚えはないっ!」
「じゃあなろーよ」
 怒る木谷にニコニコとみのわは笑顔で答える。
「う、い、嫌――」
 人生ー楽ありゃ苦―もあるさ?
 ちょうどその時、草むらから水戸黄門のテーマ曲が聞こえた。
「……これ着信音?」
「ああ人生に涙あり、だね。懐かしー」
「…………」
 いそいそと黙って音の方向を探る木谷。見つけたのか、音が止んだ。
「一応、ありがとう」
「どういたしまして……えっと、ごめんね」
 みのわに代わってもう一度謝る。
 それに答えず、走って逃げだすように去って行く木谷。すごいスピードで小さくなっていく背中が何だか可哀相だった。
「ねえ、これ、仲良くなれるの?」
「さあー? 私はそのつもりだけど」
 何だかとっても先が思いやられた。

 昼休みも、木谷と一緒にお昼ご飯を食べるためにみのわに連れられて屋上に出た。
 ちょうど、木谷は落下防止用のフェンスに腰掛けてお弁当箱を広げているところだった。
「やっほー、隣に座るよ」
 そう言って、当たり前のように隣に座るみのわ。私もみのわに手招きされてみのわの反対側に座った。ちょうど木谷をはさむ感じ。
「……なんで挟み込むように座る?」
 嫌そうに言う木谷。
「え、それはね、逃げられないようにするためだよ?」
 嬉しそうに言うみのわ。
 助けを求めるように見つめられた私は、苦笑いでごまかした。
 みのわが作ってきたお弁当を広げる。二人が一緒の内容のお弁当を出してきたので、木谷が不思議そうな顔をしたが、聞いてはこなかった。
 ちなみに内容はみのわ曰くシンプル握り弁当A。お握りと焼きじゃけ、卵焼き、たくわんと言う、いつの時代のものかというシンプルすぎる構成。
 BとかCがあるのだとしたら、どう言った内容なのだろう?
「酒井って、他の子といつも食べてるんじゃなかった?」
 あきらめた様に黙々と食事を続けていた木谷が言った。気になったから聞いたのではなく、口調からして、みのわに何されるかわからないのでとりあえず話しかけた、と言う感じだった。
「気分が乗らなかったから」
 実際半分は言葉の通りだった。いつものメンバーが、一度した動作を、聞いたことある話題を、ビデオテープのように再生するのは嫌だった。
 授業中、三日前と同じ光景が繰り返されたのは本当に地獄のようだった。みのわはよく耐えきれたな、と私は心の底からそう思った。
「そう」
「私と、仲良しになったからってのもあるんじゃないの?」
「まあね」
 その言い方にちょっとずうずうしさを感じつつも仲良し、と言われたのが嬉しくて肯定する。
「よくこんな奴と……」
 物珍しげな物でも見るような言い方をする木谷。確かにみのわは変わってると思うけど。こんな個性の強い子を、今まで良く気づかなかったものだと自分に驚く。
「でも、いいねー。こんな眺めのいい所で食べるお昼ご飯ってのも」
 みのわの言うように確かに、真っ青な空の下、心地よい風が吹く屋上で食べるお弁当と言うのも乙なものだった。
 風がフェンスを吹き抜け、私の髪をさらりと撫でる。
「前も言ったけど友達になろうよ」
 フェンスにもたれかかって、空を眺めていたみのわが言った。
「……何で」
「理由がいるの?」
「別に。でも、絶対裏があるだろ」
「うん。あるよ」
 はっきりとそう言ったみのわを驚いたように見る木谷。
「でも、もうどうでもいいや、っていう気持ちの方が大きいの。仲良くしたいって。近づく理由はあったけど、もうそれはきっかけみたいなものでさ、半分どうでもいい」
「残り半分は?」
 私は茶々を入れた。何だか正直に思った事をストレートに言うみのわが何だかかっこよくて、うらやましいと思うと同時にちょっと恥ずかしかったのだ。
「まだ健在だよー」
 話の腰を折られても、笑顔で答えるみのわはすごいと思う。
「でも、それはそれ。本当に仲良くしたいから、今もこうやって、お昼にやってきた訳」
「無理やりだけどな」
 ぼそりと呟く木谷。
「まあね。でも、いいでしょ? みんなで食べるのも」
「……うん」
 ほんの一瞬、聞こえるか聞こえないかという小さい声で木谷は頷いた。
「ありがとっ」
 みのわが笑い、恥ずかしそうに木谷はそっぽを向いた。
 温かな午後だった。

 放課後、一緒に帰ろうとみのわが木谷を誘ったが部活があるからと断られた。でもその口調には思った様な拒絶の色は無かった。
「ようやく、ここまで打ち解けれたよー」
 二人でみのわの家に向かいながら、嬉しそうにみのわが言った。
「これでハッピーエンドまであとちょっと!」
「……その言い方はどうかと思うけど」
「いいじゃん。何年も頑張ってここまで来たんだから」
「えっ? 木谷って記憶残ってるの?」
「あやふやだけどね。他の人と違ってちょっとは覚えてる」
 例えば―と、みのわは自分を指差した。
「またあんたか、ってさらさちゃんは言ってたけれど時間が繰り返すようになるまでは話もした事無かったもの」
「そうなんだ。――あれ、そういや私なんで記憶が残るようになったんだろ?」
 今まで、展開が急すぎて頭が回っていなかったけれど私の記憶が引き継ぐようになったのも不思議だ。
「私のの話を信じてくれた、ならとっても嬉しんだけどなー。原因はさらさちゃんが刺され事かな」
「どうしてそう思うの?」
「めぐちゃんは刺されないように行動してたから。まあ、違う可能性も高いとは思うけど」
 頑張ったんだよー、とみのわは笑って言った。
「五年間ずっと?」
 私は驚いて言った。
「うん。何度か気が弱ってた時だって結局はめぐちゃんが土手に行かないようにしたもん。私みたいな思いは出来るだけしない方がいいからさ。あ、あと誘導に失敗して刺されるの庇ったりしたこともあるかな」
「……ごめんね」
 申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「気にしないでよ―。好きでやってたんだから。それに、最後は失敗しちゃったし。そのかわり、これから仲良くしよーね」
「うん」
 恩返しにもならないかもしれないけど、これからは出来る限り仲良くしようと私は心に決めた。急に抱きついてきたみのわがちょっと重たくて、でもとっても温かかった。

「でもさ、木谷も思いとどまってくれたりはしないのかな」
 みのわの家でごろごろと雑誌を読みながら私はちゃぶ台の上で絵を描いているみのわに言った。
「そうなったらいいんだけどねー。……たぶん無理だね。五年以上説得と実力行使したけれどだめだったもん」
 みのわの口調は明るかったが、言葉の奥にどこか悔しそうな、悲しそうな響きが入っていた。何年もの苦労が思われて何を言っていいのかわからない。
「……でも、二人だったら大丈夫だよ、うん」
 自分を励ますために小さく呟き、気分転換にテレビをつける。
「久しぶりに見るなー、テレビ。ああ、これで内容が変わっていたら……」
 ため息をつきながら残念そうに言うみのわ。五年も同じ時間にいるのだから全番組を見飽きているのだろう。
 テレビをつけた時に放送していた番組は警察密着24時間。ちょうど警察官が包丁を持った凶悪犯罪者と対峙しているところだった。
 追いつめられて、逃げる犯人。
「こんな風に出来たらいいのになあ」
 警察官の身のこなしを見てそう言ったみのわ。
「しょうがないよ」
 やけになった犯人をさすまたで捕まえる警官。
「これなら出来そうだけどね――ってこれ!」
 私はテレビを凝視した。
「これだよみのわ!」
「? 何が?」
「だから、包丁を持った木谷を捕まえるのに使うの!」
 さすまた。これはきっと私達でも使える。
「……! めぐみちゃん、頭いい!」
 こうして私達は秘密兵器を買いに近くの護身用専門店へと走って向かった。
「五千六百円…… よし、買える!」
 ちょうど品物の入れ替え時期だったらしく、二本だと特別価格の八千円。思った以上に安かった。
「そういや、こういうの今まで使わなかったの?」
 ガッツポーズで喜ぶみのわに向かってそう聞くと、とたんに固まった。。
「それが、全く気が付かなかったから……えっと、その今までずっと素手で……」
「何年も?」
「……うん」
「ま、今気づいたからいいよね」
 フォローを入れる私。
「……ありがと」
 流石にショックだったのか声がいつもより小さかった。

 六時を過ぎたころに、みのわに言われて学校へと戻った。どうやら木谷の部活が終わる時間らしい。
「でも、よく覚えてるよね」
「ま、同じ行動をほとんど繰り返してるからねー。……良い事も、悪い事も」
「?」
 その言葉に妙な引っかかりを感じたが、みのわが弓道場に走って行ったので慌ててついて行く。
 弓道場は既に鍵を閉められていて、人の気配はなかった。
「誰もいないよ」
「いいから。さらさちゃんはいるよ」
 みのわはそう言って、弓道場横にある倉庫のような部屋に向かった。
 確かに、近づいてみると明りがまだ付いていた。
「おっじゃましまーす」
 そう言って扉を開け入ってくみのわ。
 続けて私が入る。部屋はどうやら本当に物置らしく、弓矢以外に色々な物が乱雑に置かれた棚に収まっていた。
「……あんた、何で来た?」
「あんたじゃ無いよ―、みのわだよー?」
 そう言ってしゃがみこむみのわ。
「手伝わして」
 木谷は胡坐をかいて座っていて、その周りには沢山丸い木の板と的の印刷された紙が何枚も積まれていた。
「これは?」
「弓道の的だよ。まだ作れてないけどね。さらさちゃん、押しつけられたでしょ?」
「……」
 木谷は答えない。
「え、こういうのって知らないけど、一年生に張らさせたり、手分けしてやったりしないの?」
 私は、木谷の周りにある的の材料の量を見て驚いた。よく知らないけど、一人が仕上げる量を軽く超えているように見える。
「普通はな。だいたいみんなで手分けしてやる」
「用事があるとか、適当に理由をつけて一人任された、で今日中に作れって言われた、って所?」
「ああ」
「でも、こんなのって……」
「いつもの事だよ。私嫌われてるから」
 私の言葉に、あきらめた様に力なく笑って木谷は言った。
「顧問の先生からも目つけられてる」
 だから、黙認されてると言うのか。私は無性に腹が立った。
「さあ、やりますか」
 当たり前のように木谷の隣に座って、的を作り始めるみのわ。
「別に手伝わなくていいから。的を板に貼るの難しいし」
「なんの、お姉さんに任せなさいって。……ほら、出来た」
慣れた手つきで紙を板に張り付けるみのわ。
「……弓道部だったの、あんた」
「いや、弓は触ったことも無いよ。けど的貼りは何回もした事がある」
 何でも無い事の様言ったみのわ。何回的貼りを手伝ったのだろうか。テキパキと的貼りをするみのわを見て思った。
「私も手伝うよ」
「でも――」
「いいから」
 確かにまだ木谷を恨んでいて、とても助けよう、とかは思えない。ただ少しちょっと気が変わった。
「正直、あんたは気に入らないけど、他の人達がもっと気に入らないから」
「……変な奴らだな」
「まあねー」
 結局、私は的貼りするのに手間取り、ほとんどみのわと木谷で仕上げた。だいたい一時間程したところで全ての的が仕上がった。
「……手伝ってくれて。ありがとう」
 そう言って、校門近くの自販機で缶ジュースを奢ってくれた。
「サンキュー」
 私は受け取ってそう言った。手渡されたのは桃ジュース。飲むと口の中に桃の香りが広がった。果肉入りらしく、口の中でぷつぷつ果肉がはじけた。
「どうしてそんなにまでして部活続けたいの?」
 私は一息ついてそう聞いた。正直弓道部に留まろうとする木谷の気持ちがわからなかった。私だったらこんな仕打ち待受けるぐらいなら、迷わずやめる。
「やっぱり変?」
「うん。とってもねー」
 ジュースを横で飲むみのわが横槍を入れる。ちなみに彼女が飲んでいるのは私と同じ桃ジュース。
「何て言うか、意地なんだよ、きっと」
 そう言いながら木谷は笑った。自分自身を小馬鹿にしたような感じ。
「私に残ってるのは弓道ぐらい。家族は駄目になって頼れる友人もいない。かと言って、これといった夢や目標も無いし」
 木谷の声の調子からは淡々としていて特に悲しんだり嘆いている様には聞こえなかった。ただ思った事をそのまま話しているようだった。
「自分に負けたくないんだ。逃げだして、全て投げ出して、そうしたら楽だろうけど、そう言う事が嫌だから馬鹿みたいに意地張っている」
 木谷の瞳は強く輝いていて、けれどどこか危うげだった。ちょっとした事で消えてしまうような不安定な光。
 きっと木谷が限界ギリギリの所で踏ん張っているからだろう。態度はがそっけないのはそうしないと自分を保てないから。
 なんてわかりやすく、弱い人間なのだろう、この子は。
「……苦しいなら頼ってもいいから」
 言葉が不意口から洩れた。本当に自分でも不意だった。でも自分のプライドだとか妙な意地みたいなものがその言葉を言った途端にどうでもよくなった。
 何だか急に木谷を助けたくなったのだ。それはきっと木谷が本心を見せてくれたからだと思う。
 この先の、運命も、知ってしまっているというのが大きいのかもしれない。
「急に出てきて戸惑ってるだろうけど、愚痴ぐらいならいくらでも聞くから。……それぐらいしかできないけど」
 みのわが驚いたように私を見た。木谷も意外そうに私を見る。ちょっと恥ずかしくなり、私は顔が真っ赤になった。
「――正直困る、そう言うの。不意打ちもいいとこ」
 でも、ありがとう。小さく呟いて木谷は照れ隠しするように去って行く。
「……良い事言うね、めぐちゃん。惚れ直したよ、うん」
「……どうも」
「さらさちゃんの事ちょっとはわかった?」
「妙に意地っ張りなのはね」
「あはは、そんだけわかれば十分。――本当か弱い女の子なんだよね。だから支える物が無くなったら耐えきれなくなっちゃう」
「……私達じゃだめかな」
 あまりに、唐突な出現ではあるけれど。
「そのつもりなんだけどねー。無理」
 彼女にしては珍しく力なく笑う。
「いつかはきっと、そうなれると思う。でも、――何度頑張っても駄目だった」
 そう言ってみのわは空を仰いだ。ようやく星が現れ始めた空は中途半端に薄暗い。
「みのわも泣いていいからね」
 私は言った。何となくだけれど、みのわが強がっているのがわかった。一人で重い物を背負い込んでいるくせに平気なふりしているのが。
 本当に何となく、だけど。
「えー、大丈夫だよ心配しなくても」
 変わらぬ口調で笑って答えるみのわ。
「いいから」
 そう言って、私は彼女に胸を貸した。正確にはみのわに抱きついた。
「お、積極的になりましたねー」
 茶々を入れるみのわ。そんな余裕も無いくせに。
「強がらないでよ。……私にも背負わして」
 私は呟くように、でも心から気持ちを込めて言った。
「……ばれたか」
 悪戯がばれた子供のように、上目使いに私を見ながらみのわは笑って言った。
「うん」
「ちょっと、借りますぜ」
「いいよ」
 どうも、そう言ってみのわは私の体に頭を埋めた。ほんのり、彼女が使っている桃のシャンプーの甘い香りがした。
 何年も何百回も一人で頑張ってきたこの少女は本当にすごいと思う。
 私よりも小さな体で何度木谷を助けようとして、失敗して、いったいどんな気持ちで過ごしていたのだろうか?
 きっと明るい性格になったのも、そうしなければ長い時間の中を耐え切られなかったのかもしれない。
 不安でしょうがなかった私の傍にいて、一晩中あやすように励ましてくれたみのわ。本当は自分の方が不安だったに違いないのに。
 みのわが愛おしくなって、私は思いっきり彼女を抱きしめた。一段と強い桃の香りが鼻をくすぐった。


「本当、甘えちゃってごめんねー」
 学校の帰り道、みのわは笑ってそう言った。明るく陽気な声は私の知ってるみのわだった。
「ごめんじゃなくて、ありがとう、でしょ」
 私がそう言うと、みのわは一瞬きょとんとした顔になった。
「間違ったこと言ってないでしょ?」
「――うん。間違ってないよ。……あははっ」
 みのわは急に笑い出した。それも私まで微笑みたくなるくらいの満面の嬉しそうな笑みで。
「な、何?」
「何でも無いよ―っ。とにかく――ありがとっ」
 急に笑い出して戸惑ったけれど、その一言が何だかとっても嬉しかった。
 

 
 私は朝起きると今までにない位の速度で着替えを済ませ、朝食の際は出来るだけニュースと、両親の会話を聞かないようにした。
 私にとっては二度目の同じ時間。けれど何故か何百回も続いているように感じた。
 まるでビデオテープの映像のように繰り返される現実が我慢できなかった。
 変わらぬ日々を過ごす、とよく言うけれどそんなのは嘘だって今は思う。
 気づかなかっただけで変化はちゃんとあったのだ。何気ない会話の中にだって時間にきちんと沿って内容が変わる。
 同じ事は続かないから素晴らしいという言葉があるけれど、今の私はすごく賛同したい。最近話す事も減った両親。でも人形の様に同じ事を繰り返すのを見るのは嫌だった。
 ほっとしたのは、私の様子が変だったことに気付いたあおばが心配そうに話しかけてくれたこと(あおばに無断お泊りはご立腹の様子だったけれど)
 事情を話せといわれて、私は明日には絶対に話すと約束した。
 明日話す言ったのは、まあ、げんかつぎの意味もあった。
 不満そうに。けれどわかったと言ってくれたあおばに感謝したい。

 何事かと不思議がる両親を背にして私はいつもより早く、大慌てでみのわの家へと向かった。
 みのわの家に泊まりたかったのだけれど、二日連続泊ることは流石に両親が許してくれなかったのだ。
 最初泊りこむのだってみのわが電話で上手に私の両親を丸めこんでくれたからで、もしこれからも日々が続いて行くのなら良い言い訳を考えないと辛いものがある。――出来るだけ考えたくはないけれど。
「いらっしゃーい。ちょっと待っててね」
 みのわの家に入るとまだ朝食が終わったばかりの様でみのわはまだ寝間着姿のままだった。
「うん、待ってる」
 居間に上がって、そのままごろりと寝転ぶ。日本人の遺伝子が残っているからなのか、畳のい草の匂いがした途端になんだかほっとした。実際は祖父母の家みたいだから、だろうけど。
 出来るだけ早く家から出ようと慌てていたから少し疲れた。みのわが来るまでそのままぼんやりと天井を見て過ごす。
 様々な木目が入れ混じる天井は不思議な事に次々に表情を変える様に見える。老人になったり犬になったりよく分からない物になっては姿を変えた。
 耳を澄ませているとみのわが音楽でも聞いているのかピアノの音がした。ゆっくりとしたメロディで何かで聞いた事があったが、思い出せない。
「お待たせ―、って何してるの?」
「ぼーっとしてる」
「ふーん。……疲れてる?」
「ちょっとね」
 身体より、精神的にだけど。
 みのわには悪いけれど、今日という日が不安でしょうがない。
「じゃあ、学校まで時間あるし、のんびりしましょうか」
 そう言って、座布団を二枚持ってくる。一枚を私に渡して、みのわは隣に寝っころがった。そうしている間にも音楽は流れる。
「何て曲?」
「えーと今はG線上のアリアかな。バッハが作曲してるんだけどたまにCMとかで流れてるでしょ。これはピアノ単体だけどアンサンブルで聞いても良いよ」
「そう言うのに興味があるんだ」
 意外に思って私は言った。
「うーん、気分転換かな。テレビは飽きちゃったし、ほら、古典の音楽はCDが安いから。それに聞いてみて。結構気に入ると思うよ」
 そう言っている間に曲が変わった。
「お、クロード・ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女」
 みのわの説明を聞きながら、目を閉じて音楽に耳を傾ける。
 普段聞きもしないような曲だけど、聞いてみると確かにみのわの言うとおり結構良い。
 いつも聞いている歌手の声が入った音楽もいいけれど、ピアノだけの音色も悪くはない。
 寝っ転がりながらじっと耳を澄ますとピアノの音色が染みる様に身体に入って来て、穏やかな音色にふっと体が軽くなる。
「寝ないでね」
 横でみのわが言った。
「寝ないよ」
 半分寝かけていたが、慌てて答えた。
「そう? まあ、でも良いでしょこう言うのも」
「悪くは無いね。昼寝の時に最高かも」
「あはは、実際寝る前に聞く人も多いみたい」
「ふーん」
 しばらくピアノの音楽だけが部屋の音となる。
「不安なんでしょ」
 しばらくしてみのわが言った。
「……ちょっとね」
 実際はとっても。
「私もだよー。でもさ、なんとかなるよ」
「何回も失敗してきたのに?」
 つい本音が基地から洩れる。言った瞬間に後悔の波が押し寄せた。
「ひどい事言うねー」
 けらけらとみのわが笑って返す。
「……ごめん」
 自分を激しく内心で罵りながら、私はみのわに謝った。
「大丈夫。秘策があるから」
「何?」
「めぐちゃん」
「…………」
「何よう、二人なら大丈夫だよきっと」
 そう言って、ごろごろ転がって、みのわはCDの音楽を止めに行った。
「それにさ、失敗しても安心ではあるかな。もう一回同じことを繰り返すだけだから」
「確かにね……」
 結局自分達が行動しない限り言葉通り何も変わることは無いのである。嫌な話だけど、失敗したって特に困ることは無いのだ。
「じゃ、行こっ」
 そう言って、立ち上がった彼女に引き続いて私も立ち上がり、学校へと向かった。

 昨日は我慢して授業を受けたが、まるきり同じ内容だと気力も無くなる。二回も同じ内容を聞く気にもなれず、かと言ってする事も無く、私は久しぶりに寝て過ごした。
 授業についてこれない人の退屈さがわかった気がする。拘束されている時間は本当に長く感じた。
「私も最初は地獄みたいに思ったよ」
 休み時間にみのわに退屈さを訴えると彼女は笑って言った。
 ちなみにみのわはノートに絵を描いて過ごしていたようだった。絵を見せてもらうと、桜の木の下に佇む少女達がノートに書き込まれていた。ノートに描いた事がもったいないと思える程素晴らしい出来の絵だったが、それでも手を抜いたらしい。

 昼休みはいつものメンバーと過ごした。みのわが言うには今は屋上に行かないほうが良いらしい。みのわも誘ったが、する事があるからと断られた。
 聞いた内容をまた話すのが嫌で、何とか違う話題を持っていこうと私は柄にも無く積極的に会話に入って、話を盛り上げた。
 些細なことならば変化させることは出来るらしく、それなりに過ごせたと思う。疲れたけど。
 結局木谷は放課後になっても会うことは無かった。

「そういえば、何で木谷は土手に?」
「さあ。自分で聞いてみたら」
「……それもそうか」
 土手にやって来る木谷を待ち伏せするために私達は一足早く土手へとやって来た。
 日が暮れ始め、人通りも無くなったこの場所は昼間とは違う物寂しい雰囲気に包まれていた。
「あと何分ぐらいかな……」
 土手を降りた所にある広場を歩きながら私は言った。呟きが聞こえたのか、前を歩いていたみのわが振り返る。
「えーとね、三十分ぐらい。ちょっと誤差はあるけどね」
 言って何故かため息をつくみのわ。
「どうしたの?」
「答えられる自分が何て言うか、ちょっと嫌になってさ。普通は先のことなんてわかる筈無いでしょ。だからこそ面白いのに」
 そう言って彼女は広場に設置してあるベンチに座った。私もすぐ隣に腰掛ける。
「いつの間にか、時間に操られてるみたい」
 そう言って、みのわは体を横に傾けて隣に座る私にもたれかかった。みのわの頬が肩に当たり、やわらかく温かな肌が接触する。同時に甘い桃の香りが鼻をくすぐる。
「……寒いね」
 上着を持ってきてるから良いけれど。
「そだね」
 しばらく沈黙が続き、私はぼんやりと空を眺めた。日がすっかり落ちると街灯のまったく無い土手の上の空は星が広がり、月の光が青白く私達を照らし自己主張していた。
 少し離れた所にぼんやり光る町とはまるで別世界のように思える。
「来たよ」
 そう言ってみのわは立ち上がった。慌ててみのわの顔が向いている方向を見ると確かに人影が見えた。
「行くよ」
 持って来たさすまた片手にみのわが走り出す。
「了解」
 私もさすまたを抱えてその後ろに続く。ここからが本番だ。
 木谷は以前見たように汚れた制服にゴムを結んでいない状態だった。その表情は虚ろで、右手に持った包丁は彼女の心を代弁しているのかもしれない。
 その姿を見て私が感じた感情はことは意外にも怒りだった。そんな自分の内心に驚きつつも納得する。こんなことで木谷は死んではいけないと思うから。
 耐え切れなくなった彼女が死んで楽になりたいと思うのもわからないではない。でも、それは間違っている。どうでもいいような他人のせいで何故木谷が死ななくてはいけないのか? 別に木谷は悪くないのに。――悪いところもあるかも知れないけど死ぬほどじゃないと思う。
 強がって、自分がどうしようもなくなるまで一人耐え続けていた木谷。
 何だか無性に怒鳴りつけたくなった。そしてそれ以上に周りの人間を。
「さらさちゃん! お願いだから止めて」
 みのわが木谷の前に立って言った。その間に気づかれぬよう私は木谷の背後から近づく。
「ここに来るの、わかってたんだ……」
「そりゃもう」
「何でも知ってるな――見てた?」
「ううん、今回は。でも何となくわかるから」
「それにしては準備がいいよな」
 苦笑いしながら、みのわのさすまたを指差した。
「まあね。付き合い長いもの」
 木谷は包丁を持った腕を下ろした。
「まいったな……」
 弱々し呟き。背後に回っているため表情は見えない。
 その行動を思い留まってくれたものと解釈し、私は足を止めた。
「めぐちゃん!」
 瞬間みのわが叫んだ。
 私は走り出せば木谷に近づける距離まで近づいていたが、足を止めていたため反応が遅れる。
 木谷は、私に気付いて少し驚いたように、けれど微笑んだ。
 あんたも、来てたのと視線が語っていた。
 そのまま彼女は包丁を自分の首元に持っていこうとして――気付けば、私は刺す股を放り出して突っ込んでいた。
 後先考えないタックルは、幸運にも成功したようで、お互いに受身も何も取れぬまま、崩れ落ちる。
「っ痛……」
 痛みに苦しむ時間は無い、すりむけた足の痛みを気合で無視して、私は慌てて起き上がる。
 包丁を!
 けれど、起き上がった時には、既にきさらは起き上がっていた。右手にはまだ包丁を持っている。
 間に合わない。みのわの叫び声が聞こえる。
 そう思ったとき、思いっきり、長い何かが、木谷の右腕にぶつかって包丁を弾いた。
 痛みの余り、蹲る木谷。包丁はちょうど木谷の足元に落下した。
 私はこれ幸いと、包丁を掴んで思いっきり遠くに放り投げた。――実際は数メートル先の河原に落っこちただけだけど、まあ結果は変らない。
 ようやく安堵して私は蹲る木谷を見る。右腕を、押さえて、痛そうに声を抑えている。
 もしかしなくても、かなり大きな青あざが出来ただろう。
 ……手の甲骨折したかも。
 でも、 死ぬよりは良いよね。
「ナイス、みのわ――」
 振り返ると、何故かそこにいたのは、みのわではなく、妹のあおばだった。

「誰、この子?」
 近づいてきたみのわが不思議そうに言った。
「私の妹」
「めぐちゃん姉妹いたっけ?」
 不思議そうに言うみのわだったが、居るのだからしょうがない。
 それより――
「なんで、あんたがここに居るの?」
「探しまわったんだよ? だって、帰ってくるの遅いし、昨日から様子が変だったし」
 そして、包丁の取り合いをしているのを見つけ、大胆にも、私が落としたさす股を掴んで、木谷の腕にぶつけたと。
「まあ、とりあえず、ありがとね、妹ちゃん」
 みのわが、そう言うと、少し照れくさそうに、いえ、そんなこと無いです、とあおばは言った。
 ちょっと、猫被ってるなこの子。
「……なんで、死なせてくれないのよ」
 痛みから脱却(ある程度)したらしい木谷が恨めしそうに言った。
 未だに蹲っていて、痛々しそうで、でも、何より、声が死んでいた。
 そんな彼女に、みのわはしゃがんで目線を合わせて微笑んだ。
「木谷さん」
「何」
 みのわは、思いっきり木谷の右腕をつねった。
 激痛に悲鳴を上げる木谷。対するみのわは、笑顔のまま。
「何するんだよっ」
「痛い?」
「当たり前だろっ!」
「死ぬのはもっと痛いんだよ?」
 木谷は黙った。
「寒くなるし、お腹が痛かったり、呼吸が出来きなくなったり、目の前が真っ暗になったり。だんだん思うように身体が動かなくなって、寂しくなったり、良いことなんて、何にも無いの」
 淡々とみのわは言う。まるで、今までさも経験したように。――きっと、何回もみのわは死んだのだろう。木谷を止めるために、あるいは、この世界に耐えられなくなって自ら。
「だからさ、こんなこと止めてよ」
「……お前に何がわかるんだよ」
「じゃあ、私の気持ちあなたにわかるのかな?」
 驚いた風に木谷はみのわを見つめる。
「痛い思いして、友達も巻き込んで危険にさらして、寒い中、待ち構えて、死ぬ気で止めて、何でこんなしんどい思いしながら、何で未練がましく死なせてくれって言われなきゃいけないの?」
「……そんなの、知らない」
「うん、わたしも知らない」
 そう言って、何故かみのわは泣き出した。
 私は驚いて、木谷もどうして良いか、わからないようで、戸惑った風に、私を見たが無視してやった。
 自分で責任を取りなさいよ。
「何で、さ、生きてくれないの、何回も、何回も、死のうとしてさ――やめてよ! 友達になってよ! 一緒にもっと遊ぼうよ! 仲良くしたいだけなのに! 家族が居ないなら私の家に来れば良い! 部活止めたなら、なんか一緒にやろうよ! だから、死のうなんてしないでよぅ!」
 それっきり、大泣きのみのわ。
 やがて、木谷も泣き出した。
 知らないよ、死なせてよ、これ以上辛いのは嫌だ、一人は嫌だ、笑われるのは嫌だ。
 高校生二人の涙の大合唱。
 なんか、見ているこっちはちょっと恥ずかしい。
「わざとだね」
 みのわを見ながらあおばは少しあきれた風に言った。
「いや、本音だと思うよ」
 我慢できたと思うけれど、きっと本音をぶつけることしか出来なかったんじゃないかと思う。
 結局、二人は泣き止まず、
 携帯を見るともうあと一分で次の日付がやってくるところだった。

 気付くとお布団の中に私は居た。
 慌てて飛び上がる。
 あおばも、私の様子にびっくりして、飛び上がる。
「何、どうしたの?」
「……あおば昨日の事覚えてる?」
「え? お姉ちゃんの友達が包丁持ってて――あれ、なんでお布団の中に居るんだろう?」
「……あおばついてきて」
「え、ちょっと、お姉ちゃん?」
 まだ時計は四時ぐらい。普段は熟睡している時間帯。
 けれど、私は寝ぼけまなこのあおばの手を引っ張りながら玄関の新聞受けの前へ。
 恐る恐る開けた中に入っていた新聞紙を手に取る。
 三日前の日付の新聞が私の手元に新品の状態で握られていた。
 
 続く
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